片田舎から哀をこめて

野山を駆け回る程の自然もなく、天を貫くようなビル群もない。中途半端な片田舎からお送りします

青春モンモン野郎は全員筋肉少女帯の「飼い犬が手を噛むので」を聞け

 我々の生きるこの現代日本社会は、物も人も、何もかもを規格化したがる。スーパーに並ぶきゅうりはまっすぐな方が高く売れるし、建物は耐震基準以内でなければならないし、人は同じ思想を持っている方が扱いやすい。
 いやちょっと待てよ、と。オレはそうはならないぞ。こんなクソみたいな世の中に染まってたまるかよ。オレはあいつらのような下らない人間とは違うんだぞ、と。そういって何かを始めようとする奴は、そこそこいる。
 では、そういって世間から、社会の輪からなんとか外れようともがく若者たちが全てうまくいくのかというと、これがどっこいそうはいかない。
 例えばロック歌手になろうとする若者が世の中に五千人いるとする。その全てがアーティストとして成功し、そこそこ収入を得ることができるというのなら、邦ロックシーンはえらいこっちゃである。
 恐らくその五千人の中でメジャーデビューできるのは十人といったところだろう。それも長く続けられるのは一人か二人か。そんなところに違いない。
 そして夢破れた4990人の若者たちは社会に染まることを嫌い、かといって特別な存在になることすら叶わない。何者にもなれない彼らは、自分があの時見下した普通の人間以下の存在であることに気づいたのだ。

 


 筋肉少女帯のキ○ガイ名盤として名高い「レティクル座妄想」を通して聞いたのは高一くらいの時だったか。
 当時遅すぎる中二病が花開いていた僕は(そのクセ知識や常識は並の高校生だったので尚厄介だった)、「学校も社会もみーんなクソ!大人になる前に死んでやるー!」とか考えながら人生や世の中そのものを舐め腐っていた。
 アルバム前半、というより最終曲以外の曲は思春期における中二病の妄想や思想をそのまま体言したかのような、陰惨で、ドロドロしていて、そしてどこか美しい世界観の曲が並ぶ。中二病高一の僕も共感した。感動した。やはりオーケンは”分かって”いるのだ、と。


 
 そして「飼い犬が手を噛むので」。曲の前半は猟奇的な内容になっている。世の中に必要のない人間は我々頭のいいものたちで狩ってしまえ。何いってんだコイツと思うかもしれないが、アルバム通しで聴くと、そうだそうだ、と思ってしまうものである。しかし二番が終わったところでオーケンの台詞が入る。


 

ただし!
狩りに行く前に
自分は頭がいいという証拠を提示してください
君たちがまわりのくだらない人たちとは
自分はちがうというのならば
その証拠を見せてください
 

証拠なき者は犬人間とみなし
狩られる側にまわってもらいます
君たちがくだらないかそうでないかを決める
素敵な審査員のみなさんを御紹介します
(以下歴史上の偉人が挙げ連ねられる)


 あの時僕には自分には何かしら特別な能力があって、それはきっと自分が大人になってしまう前に現れるはずだ。そうでなければ自分は死ぬ、などということを割と本気で考えていた。
 しかし実際にはそんなことなくて、自分に特別だという証拠はどこにもなかったし、勿論周りの人間がバカだという証拠もなかったし、20歳になっても当たり前みたいに人生は続いていたし、そして中二病フィルターを通さずに見た世界は、社会は、ありえないほどに大きかった。


 それに比べて自分の小ささたるや!!


 大人になるということはきっと、良くも悪くも世の中に対しての自分の大きさを自覚することなのだと思う。その気付きの一歩を、大人への一歩を踏み出せたのは間違いなくこの曲のお陰だ。できるならば僕のように青春をモンモンと過ごす奴にこの曲が届いてくれればいいと願う。