片田舎から哀をこめて

野山を駆け回る程の自然もなく、天を貫くようなビル群もない。中途半端な片田舎からお送りします

wowakaの死について思うこと

 確か人生で初めて買ったアルバムはwowakaの「アンハッピーリフレイン」だった。


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 買った、というのはちょっと語弊があって、正確には買ってもらった、という方が正しい。
 その頃、ボカロ厨でニコ厨で厨二だった僕は家に帰っては家族共有のPCを占拠していた。ランキングをカテゴリごとに巡回して、フォローしている投稿者に投稿がないか確認する。お決まりのルートである。その投稿者の中でも一番熱心に追いかけていたのは間違いなくwowakaであった。といってもニコニコで彼をリアルタイムで追えたのはほんの少しの期間でしかないが。


 僕が中学生をやっていた2011年頃、ニコニコのボカロ界隈は成熟期を迎えていた。黒うさPの「千本桜」が投稿されたのが2012年頃、といえばボカロ厨は「あーあのあたりか」となるだろう。ちなみに「アンノウン・マザーグース」以前、wowakaがニコニコをしばらく離れる前の最後の投稿「アンハッピーリフレイン」が発表されたのは2011年5月のことである。前作「ワールズエンド・ダンスホール」から約一年の期間を開けての投稿だった。そしてすぐさまアルバム「アンハッピーリフレイン」発売の発表がなされた。
 結局のところ僕がリアルタイムでボカロPのwowakaを追いかけることができていたのは「アンハッピーリフレイン」投稿からアルバム発売の間だけだった。それでも僕は、彼を僕の中の一番に置いていた。意味もなく彼のマイページの更新ボタンをクリックしていた。
 そんな中での、新曲。そしてアルバム発売。とても嬉しかったのを覚えている。一年も音沙汰がなかった分喜びも一入であった。が、いかんせんアルバムを買う金がなかった。
 その当時、遊びたい盛りの中学生だった僕に毎月与えられる小遣いは千円であった。その当時僕は貯金をするなどという概念もなく、そもそも千円以上の買い物をしたことがない、時代遅れもそこそこの娯楽に飢えた片田舎の中学生だったのだ。
 そこに救いの手を差し伸べたのは年の離れた兄だった。兄も当時ズブズブのニコ厨で(おそらくβーγあたりのリアルタイム世代。僕のインターネット狂いももとは兄の影響であった)、兄弟共々ボカロ音楽は好きだった。勿論wowakaのことも好きだった兄は、ある日アルバム「アンハッピーリフレイン」買ってきたのだった。兄は早々に自分専用のPCにCDを取り込むと、もういらないとばかりにCDを僕にくれたのだった。
 CDが割れてしまわないか、裏面に指紋がついてしまわないか、どきどきしながらケースからCDを外し、ラジカセにCDをセットして再生ボタンを押す。 
 あの音は、間違いなく僕の音楽の原体験だった。


 それから時は過ぎた。wowakaは「アンハッピーリフレイン」のクロスフェードデモを最後にニコニコへの投稿が途絶えた。僕も少しずつ大人になっていった。ボカロから派生して歌い手の曲を聞いたり(ぐるたみんが好きだった)、アニソンを聴くようになったり、ロックンロールにのめり込んだり、サブカルに傾倒したり。wowakaの音楽は、ボーカロイドは、いつしか昔好きだった曲になっていった。


 高校生になってスマホを手にして、ふらふらと情報の海を漂っていた時、ふと一組のバンドの名が目に止まった。ヒトリエ。そのボーカルの名を目にして驚いた。youtubeで曲を聞いて二度驚いた。
 変わってない。
 いや、勿論表現の形態も、曲を聴く形も、自分自身でさえも変わってしまった。だというのに、いつか感じたあの胸の高鳴りを、僕は色褪せることなく感じることができたのだ。
 日々目真苦しく変わっていく日々の中で、変わらないなにかがある。それを知れただけで僕は嬉しかったのだ。
 それから、日々忙しなく過ぎていく日々の中でも僕はヒトリエの活動を追っていた。MVがあがれば真っ先に視聴し、アルバムが出れば買う。
 ただ、ライブだけはなかなか行く機会が掴めなかった。山形在住というのもあったが、他に追っているアーティストが多かったというのが大きい。僕は何度となくヒトリエのライブに行く機会を逃していた。
 今年の2月。アラバキロックフェス出演者第三段にてヒトリエの出演が発表された。他にも見たいアーティストの出演は多数発表されていた。僕は思い切ってアラバキロックフェス二日通し券を購入することにした。それがつい二ヶ月程前。見れる。会える。生であの時の胸の高鳴りを感じることができる。そう思っていた。


 昨日、ヒトリエのボーカル、wowakaの急逝に伴い、ヒトリエアラバキロックフェス出演キャンセルの発表がなされた。


 訃報を目にした瞬間、彼の音楽が常にどこかにあった中学生から今までの出来事が走馬灯のように駆け巡った。走馬灯の自分が今の自分と重なった時、胸のあたりが苦しくなって、そこを絞ったように涙が溢れてきた。
 僕は幸いなことに、家族や友人、その他直接関わったことがある人間の中で鬼籍に入った者は未だない。テレビで目にする訃報もどこか遠い国の出来事のようで、イマイチ「死」に対してリアルなイメージを持つことができずにいた。しかし今回のことで初めて知った。人が一人いなくなるということの悲しさを。そしてそれを背負って尚生きていかざるをえない人間の性を。
 正直後悔はいくらでもある。しかしそれを引きずっていてはなかなか前に進むことはできない。
 日々は目まぐるしく変わっていく。一時は話題を独占し追悼のコメントで溢れかえっていたツイッタートレンドも一夜明ければ新紙幣の大喜利大会である。
 それでも彼の遺したものはディスクの中に、ニコニコに、youtubeに、我々の頭の中にある。我々が今できるのは、彼の死を受け止め、彼の遺してくれた変わらないものを未来に活かしていくことだけだ。
 今月末、僕はアラバキロックフェスに行く。そこにヒトリエがいなくても。これから先、僕はボカロシーンも邦ロックシーンも追っていく。そこにwowakaがいなくても。