片田舎から哀をこめて

野山を駆け回る程の自然もなく、天を貫くようなビル群もない。中途半端な片田舎からお送りします

しりとりエッセイそのよん ダンス

 

 学校の授業で一番嫌な科目は何だったか、と問われればそれは断然体育であったし、中でもダンスの授業ほどやっていて辛いものはなかった。

 体育もそうだが、学校の授業とは圧倒的につまらないものである。それなのに何故中学三年高校三年計六年も受けていたかというと、一つは内申の為であり、もうひとつ、というか0.5くらいの割合で、まあ将来なんかの役に立つかもな、という思いがあったからである。

 国語や算数等はその最たる例だろう。国語の知識がなければ会話もままならないし、算数ができなければお釣りの計算もできない。体育の100m走も、まあ100m譲って許そう。体力をつけることは健康につながる。しかし、ダンス(苦悶の表情を浮かべながらなるべく英語に近い発音で、言った後に唾を吐く)。一体将来何の役に立つというのか。中三の冬(確か秋だったような気もする)、母校の音楽室でEXILEのあの回るやつをやりながら、僕含めクラスの連中の大半はそう思っていたのではないだろうか。

 思えばあれから約四年。いろんな価値観に触れ、見方や考え方が変わり、人生というものを若干俯瞰で見れるようになった今、改めてしりとりで回ってきたこのダンスというものを考えてみると、そこまで悪いもんでもないかな、と思うようになってきた。

 というのも、ダンスを体育でやっていたあの頃、踊るという行為は、ただ体を動かす手段の一つとしてリズムに合わせて体を動かすだけのものであり、本質的にはマラソンや筋トレ等と変わらないものだと思っていたのだ。しかし、ダンスの本質とは実はそこではない。こうして記事を書いていることの方が実際には本質として近いのである。つまり、表現。自分の内面にある感情を文字で伝えるか、体を使って伝えるか、違いはそこだけなのである。バレエをイメージしてもらえば分かりやすいだろう。
 しかしあのダンスの授業をやった学期の体育の成績たるや惨憺たるものであったことから、僕にはダンスという、どちらかというとグルーピーな行為が向いていないことが既に証明されているので、やはり僕の表現の手段は文字を打つことの方が向いているようである。というかアイドルのライブに足繁く通う僕としては、やはりダンスは踊るよりも見る方が性に合っているようである。