片田舎から哀をこめて

野山を駆け回る程の自然もなく、天を貫くようなビル群もない。中途半端な片田舎からお送りします

蜘蛛の糸を探して2

 ちょっと前にも書いたが、この話はノンフィクションである。事実は小説より奇なりと言うように、この話に予定調和な展開なんてものはほとんどない。が、しかし。こればっかりは例外である。

 

 僕は程なくして挫折した。

 

 まあ、そうなるよね。うん。あれだけ盛大に皮算用する奴の末路なんて大体こんなもんである。
 書きたいことは確かにあった。学校の宿題で作文を書いたらちょっと誉められるくらいの文章力もあった。時間もあったし書く環境もあった。だがしかし、残念ながら僕には根性がなかったのである。どういうことか。ちょっと前回の続きを見てみよう。

 ニヤニヤと不適な笑みを称えながらディスプレイに向かう僕は、書き出しの文句を決めるとカタカタとキーボードを叩き始める。書き出しが決まればそこからは流れるように書きたいことがどんどん溢れ出してくる。ここまでは順調だ。
 しかし、このままずーっとカタカタカタカタ、何時間も手を止めず書き続けるということは不可能である。書いているとどうしてもその手を止めなければいけない時というのがあるのだ。例えば感情を表現するうまい言葉が思いつかなかったり、展開に矛盾が生じたり、セリフが噛み合わなくなってしまったり。そうしてふとキーボードから手を離して深呼吸と伸びをしながら中空をぼんやりと見つめた時分などに、この情報化社会のご時世柄、常にポケットに忍ばせてあるスマートフォンなるものがいつのまにか手元に収まっているのである。って自分で取り出したんだけど。
 恐らく執筆に関わらず宿題なんかでこういう経験をする人間は多いのではないだろうか。友達いなから分からないけど。僕の場合こうなってしまうともうおしまいである。数時間程で作業に戻れればまだ可愛いもので、下手をするとその日一日。また時には二日三日なにもしない日が続いてしまったりするのだ。こんな調子で筆が進むわけがない。
 しかし塵も積もれば山となるとは言ったもので、なんだかんだうだうだと物語を書き進めた僕は、なんとかかんとかぐだぐだの一話を書き終えた。まあ今になってよく考えれば一番最初にできあがるべきだったのはプロットなんだけど。そして三話を書き上げた頃には既に二ヶ月程の月日が流れていた。一話が大体三千字くらいだったので、約一万字。西尾維新が一日に書く量の約半分程である。
 こんなんじゃ駄目だ。焦る気持ちと裏腹に、進路決定へのタイムリミットが刻々と迫る。なんとかしなきゃ。思えば思うほど、書いていない期間が段々増えていく。勉強もせず、かといって小説も進めず、空虚な毎日だけが、僕の前を淡々と通り過ぎていった。
 やはり無理だったのだ。特別な人間になるなんて。何もしなかった一日の終わりのベットで、僕は自分の空虚さに絶望した。確かに青春時代における大槻ケンヂの境遇は僕に似ている。しかし彼には才能があって、そして仲間がいて、そしてなにより努力する才能というものがあった。そして僕にはそれがなかった。彼は誰かの道を照らす役目を担った人間で、そして僕は照らされる側の人間。これは恐らく運命とかいうもので、きっと生まれもって決まっていたことなのだ。今更僕がサーチライトを手にしたところで、後ろから照らす光が強すぎて、僕の光なんか誰にも届かないではないか。


 かといって僕は今更普通の人間というものになれるのか?そもそも普通とはなんだ?あのクラスの連中のようになんも考えずにヘラヘラ笑いながら缶詰の工場に行ったり車の部品作る工場に行ったり遊ぶために親の金で大学に行ったりすることがか?いやだ。そんなもんに俺はなりたくない。

 

 自分で書いててあ痛ててて。この頃、僕は夜に限らず日中、学校や家でも終始そんなことを考えていた記憶がある。んなことしてる暇あったら他にすることあるだろっちゅーに、と過去の自分にツッコミを入れても仕方がない。時間とは本当に無情なもので、あっという間に……具体的には五話辺りの構想を練っているうちに、選択の時がやってきてしまったのである。