片田舎から哀をこめて

野山を駆け回る程の自然もなく、天を貫くようなビル群もない。中途半端な片田舎からお送りします

amazarashiさんの「地方都市のメメントモリ」仙台公演に行ってきた

 ライブに行ってきた。いや、いる。僕は今仙台GIGSというライブハウスでamazarashiのライブツアー「地方都市のメメントモリ」の開場を待っている。整理番号はBの200番台。ライブによく行く人なら分かると思うがこの番号は後ろも後ろ、もしかして最後尾なんじゃないかというくらい後ろの番号である。
 確かにamazarashiのライブにはかなり人が集まる。しかし、かといってライブ玄人の僕からしたらこんな整理番号をつかまされたのはいささか業腹だ。ライブというのは少しでも前に行ってなんぼ。少しでも前に行きたければ少しでも早くチケットを取るものである。もし一般先行発売と同時にチケットを取っていたならばこんな番号を掴まされることはなかっただろう。すなわち僕はこのライブのチケットを販売後いくらか時間を置いてから取ったということである。こう書くと僕があえてそうしたとでも言わんばかりの書き方だが、そんな訳はない。
 なんかじれったい書き方になってしまったが結論を言おう。僕はほんの一月程前にamazarashiを知り、そしてその直後にこのチケットを取ったのである。チケット販売開始時にライブの存在自体を知らなかったのだから、チケットを取れないのも仕方がないという訳だ。
 で、僕がここで言いたいのは、一月程前にamazarashiを知った僕が直後にチケットを取って今この場にいるということである。普通ライブというものは何年も前から好きなアーティストがいて、CDをコツコツコツコツと集め、いくらか集まってきたところで偶然自分の住む町にそのアーティストが来るのを知り、そこでようやっとチケットを取るものである。まあ人それぞれかもしれないが。しかし僕がamazarashiを知ったのは1ヶ月前だし、その直後に買ったベストアルバム一枚しか持っていない。今日だって午前中は仕事でそれが終わってから車を転がし二時間。なんと隣の県までやってきてしまった。明日は朝6時から出勤だ(白目)。つまり、amazarashiの歌にはそれほどのパワーがあったということだ。
 youtubeで「僕が死のうと思ったのは」という曲を始めて聞いた時、僕はこの歌と、テンガロンハットを被って歌う彼を何故か昔から知っているような気がした。懐かしい感じがした。ベスト版を買って「夏を待っていました」を聞いた時、何故か涙があふれて止まらなかった。このライブがあることを知った時僕が感じたのは、使命感ににたものだと思う。僕は彼の歌を聞いてみたいというより、聞かなければならないと強く思ったのだ。
 そう、これは僕の使命なのだ。故に、駐車場が全部満車だったからといって、コンビニの駐車場に車を停めたのは悪くないのだごめんなさい。ライブ終わって戻ったら切符切られてるなんてことないよね?大丈夫だよね?正直気になってライブどころではないんだが。やっぱ戻っ…。あ、入場始まった。

 という訳でライブハウスの中で待機中である。待機中の大気中は汗でモヤッとしている。何故なら僕が汗だくだくだからだ。あの後やはりどうしても気になって、整理番号Aが入場している間にコンビニに戻って車を動かしてきた。ダッシュの甲斐あってこうしてまあまあ前の位置で見ることができそうだ。開演まで十分。鼓動が高鳴るのが自分でも分かる。まあ走ったからなんだけど。しかしそれを差し引いてもこの胸の高鳴りはライブへの期待によるものだろう。待機期待大気。変な語呂合わせをするくらいに変なテンションになっているのが自分でも分かる。残り五分。館内アナウンスが流れた。僕の前のジャージを着たオッサンから放たれる加齢臭が僕の鼻孔をくすぐる。隣の二人組のグループがamazarashiのどの曲が一番好きか話し合っている。その話の輪に入りたくなる衝動をぐっと堪えた頃、館内に低く流れていたBGMがいつの間にか大きくなっていることに気づく。あ、暗くなる前に写真撮らなきゃと思ったが撮影禁止の札がでかでかとステージに降りた幕の前に立っているのでやめた。あと二分。バックバンドのギターが試し弾きする音が聞こえた。もう僕以外にスマホをいじる客はいない。BGMが更に大きくなった。そろそろだ。僕はスマホを閉じた。

 と、ここからはライブ終了後の感想だ。今僕はライブの余韻に浸りながらハイウェイを二時間ほどひた走り、家に帰ってこれを書いている。何分明日も早いので手短になってしまうが、軽くライブを振り返っての感想を書きたいと思う。
 まず開演前にステージに降りている幕だと僕が思ったそれは半透明のスクリーンだった。開演を告げる暗転と共に僕らの背後からスクリーンに向けて光りが放たれると、僕はその演出方法に目を見張った。背後から放たれた光はスクリーンにミュージックビデオを流し始めたのだ。そして映像と共に歌い出すamazarashi御本人が……いた。半透明のスクリーンの向こう側に。テンガロンハットを被ってアコースティックギターを掻き鳴らす生amazarashi、略してnamazarashiが。そして彼は歌い出した。
 amazarashiのMVには文字がたくさん出てくる。それは単に動画のエフェクトの一部としてだったり、或いは生肉だったり人間の体に投影された光だったり。その文字が本人の歌唱と同時にスクリーンにどでかく投影される。まるでコエカタマリンのようだ。その視覚と聴覚同時に訴えかける詩の圧倒的パワーを前にして、気づけば僕は泣いていた。彼が一音一音、一語一語、言葉を紡ぎ出していくごとに、ビリビリと音を立てて僕の心臓の辺りを揺り動かすのだ。心が震えるとはまさにこのことだと思った。
「このライブが終われば皆さんは皆さんの日常に帰ります。その日常の中で辛いことや苦しいこともあるかもしれません。でも、そんな時に今日聞いた言葉が、皆さんを照らす光になればこんなに嬉しいことはありません」
 最後のMCで彼はこんなことを言っていた。明日も頑張ろう。