片田舎から哀をこめて

野山を駆け回る程の自然もなく、天を貫くようなビル群もない。中途半端な片田舎からお送りします

卓球部活動記録

 僕は高校三年間、卓球部に所属して過ごした。といってもその三年間でさほど良い成績を挙げられた訳でもなく、結局最後までただのうだつの上がらない二軍選手としてその活動を終えることとなった。
 あの卓球部の活動で僕は一体何を得られたのだろう、と今でもたまに思うことがある。確かに卓球の技術は得られた。しかし今その技術を使って社会で生きている訳ではない。それをやっているのはスポーツ選手だけだが、かといって僕は三年間で一度だって将来卓球で飯を食っていこうなどと思ったことはない。恐らく僕含め全国の卓球部の冴えない連中のほとんどが同じ考えを持っているだろう。
 では何故僕は三年間球を打ち続けたか。それは僕が部活動を通して教育を受けていただけだったからだ。時間を尊守し、年長者を敬い、目的の為なら全てを削る。そういった教室だけではカバーできない社会のルールを叩き込まれていただけに過ぎなかったのだ。
 こういうとまた読者は捻くれてるとか、卑屈だとかいう感想を抱きかねないだろう。何故なら僕は今、あえて部活動における最大のメリットを飛ばして語ったからだ。
 卓球は個人戦だが、練習を一人ですることはできない。僕が所属していたのは卓球部なのだから、部員、チームメイトという存在が必ずいるはずである。肩を組んで共に一つの目標に向かって、時に苦しみを分け合い、時に喜びを倍増させる。そう、チームメイトと書いて仲間と呼ぶ存在が……。
 いるわきゃない。勿論チームメイトと呼ぶ存在はいたものの、それを仲間と呼べるかどうかは疑わしい。そもそも教室の中で地位を確立できなかった僕が同じ学校内の場所を変えただけの所でニコニコと陽気に振る舞える訳がない。そういう訳で部活動最大のメリット、チーム内で友人を作れる、は僕には適合しない。
 そうなってくると、僕は何故三年間卓球を辞めなかったか、益々分からなくなってくる。冒頭でも言ったようにこの三年間の卓球部生活で何を得られたのか、とたまに眠れない夜なんかに頭によぎる。寝返りをうったり頭を枕に突っ込みながら僕が出した結論は結局のところ「なにもない」に収束した。じゃあなんで辞めなかったのだと益々読者は頭を捻ってしまうだろうがまあ落ち着いてほしい。得られたものがないというだけでメリットがなかったということではないのだ。恐らく僕が考えるべきだったのは何を得たか、ではなく何を失わなかったか、なのだ。それを説明する為に僕が卓球をすることになったきっかけを話さねばなるまい。
 確か小五かそこらあたり、肥満児だった僕を見かねた祖父が僕に卓球を勧めてくれたのだ。この祖父というのはすごい人で、ラージボールの全国大会を制す程の実力の持ち主なのだ。ちなみにラージボールとは卓球に使われる普通のピンポン球より少し大きなラージ球を用いてする卓球のことで、球が大きい分ラリーが遅くなり、ご高齢の方でも楽しむことができる、いわゆる生涯スポーツの一種だ。しかし普通の卓球の実力もそれなりにあり、卓球台の置いてある自宅へ僕をしきりに招き、なにかと世話を焼いてくれたりした。そんなんなので僕は、中学の三年間は何かの運動部に強制的に入部させられることもあり、卓球部に入部したのだ。
 しかし高校でも部活強制入部制だったとはいえ、美術部とか新聞部とかに逃げることもできた。しかしそれができなかったのは、入部希望書を書く時に祖父の顔が浮かんだからだ。中学三年間続けた卓球を今やめてしまったら祖父はなんというだろう。そんなことが頭をよぎってしまったのだ。
 長くなったので一旦ここで切っとくことにする。