片田舎から哀をこめて

野山を駆け回る程の自然もなく、天を貫くようなビル群もない。中途半端な片田舎からお送りします

トンネルを抜けるとトンネルだった

 さて、前回まで幼稚園から中学卒業まで自分の半生、というかもはや4分の3生くらいをざっと振り返ってみたわけだが、改めて思った。まーつくづくどーしょーもないな、俺の人生。しかし、安心してほしい。これから高校編に入るが、ここからが僕の人生最大の肝。最も陰惨で陰鬱で更にどーしょーもない生活の幕開けである。なにを安心せいっちゅーねん。

 一応普通高校という選択肢(偏差値はお察し)もありながら僕が工業高校を選んだ理由は大別して二つある。一つは親の勧め。父親がこの高校の卒業生だったのでなんとなく安心だったのだ。もう一つはなんとなくものづくりをすることが好きだったから。実は僕は中学生の頃くらいからなにかを作るというのが好きだったのだ。ペーパークラフトとか折り紙とか、まあ可愛いものだが。何となくというのは二つ合わされば確実な動機となる。それに今の自分の成績で行ける一番いい高校がそこだったし、何より家から近い。中三の終わり頃には僕の中に他の選択肢はなかった。
 入学式の日。やけにうきうき張り切った両親と三年間学ぶ学び舎へ向かった。地元の工業団地にぽつんと佇む、寂れた校舎だった。聞けば創立から五十年間一度も建て替えというものをしたことがないらしい。板張りの床は踏めばきしみ、クラス全員が一斉に椅子を動かせば地響きのような音が響いた。良く言えば趣がある。悪く言えばボロである。
 入学式も早々に終えると、早速クラスの人間とご対面。曲がりなりにも同じく工業を志す者達だ。さぞや僕のような地味ながらもなにか作ることには長ける職人のようなやつらが集まるのだと思っていた。しかしまあ分かる人には分かるだろうが田舎の工業高校というのは僕含め大抵ろくでもないやつが集まるものである。しかしここに集まったのは僕の逆のベクトルでろくでもないやつらばかりであった。良く言えば賑やかで明るい。悪く言えばヤンキー。そういう奴らの集まりだった。というかヤンキーというのはもはや死語か。今風に言えばパリピ勢、ウェイ系とか言った方が恐らく伝わりやすいだろう。自己紹介を終えた頃には僕は確信していた。
(あ、駄目だ。こりゃ馴染めないな)
 自己紹介を終えて各種連絡を終えるとその日はそれで終わりだった。
「きりーつ」
 出席番号一番だからという理由で仮委員長になった坊主頭のメガネが号令をかけた。なかなか静かにならない場を、担任が「はいはい静かにー」とたしなめる。
「きょーつけー」
 やっと静かになった。しかしここで僕は何か違和感を感じた。この静けさはなにかがおかしい。例えるのなら修学旅行の夜。ふと会話の途切れた一瞬間。何故か面白いしーんという沈黙。この後になにかが起こることを予感させる嵐の前の静けさが感じられた。その証拠に右隣の眉毛なしは顔をくしゃっと縮めて、皺で眉毛を作りながら笑いをこらえていた。
「れぇー!」
 号令を終えた瞬間、教室は喧噪の渦に怒濤の如く巻き込まれた。もしその様子を擬音で表現するならば「ドカーーン!!!」とか「ボォーーン!!!」とかであろう。その爆発の中、僕は一人ぽつんと佇みながら、何故か幼い頃行った動物園の記憶がフラッシュバックしていた。猿山だ。と僕は思った。四方八方からガヤガヤと奇声と叫声。何故か指笛の甲高い音。隣のクラスも同じ位のタイミングで終わったのか、何故か壁の向こうから話し声と共に「フォーーーー!!!!」という狂声が聞こえてきた。訳が分からなかった。その中を僕は一人で、まるで何かから逃げるかのようにスタコラサッサと自転車小屋へ自転車を取りに向かった。まだ日の高い内に自転車に跨がった僕は、えらいとこに来ちまったなぁ。と思いながら、まだ雪の残る4月の田舎道をゆっくり家に向けて自転車を漕ぎだした。