片田舎から哀をこめて

野山を駆け回る程の自然もなく、天を貫くようなビル群もない。中途半端な片田舎からお送りします

過去は過ぎ去りもうないけど

 自分が赤子だった頃のことを覚えている人はいるだろうか。おそらく大概の人は、自分の一番古い記憶は幼稚園とかそのあたりからなのではないだろうか。んで僕はというとやはりそれ位だ。幼稚園の入園式が僕の一番古い記憶で、それ以前はどれだけ頭を振り絞っても出てこない。

 あの頃の僕は可愛かったらしい。男のくせによく女に間違われたのだという。性格も純心そのもので何物に対しても疑うということを知らなかった。生憎幼稚園生活のことをほとんど覚えていないのでここで記すことはあまりない。しかしひとつだけ書きたいのは、この頃までは僕はまともな人間だったということだ。

 小学校に入学した僕はこのあたりからちょっとだけ太りだした。理由がどうにも思い出せないのだが、恐らく、母親も同じく肥満体型だったのでまあ遺伝というやつなのだろう。しかし逆に、その頃から周りの皆は僕の体型に反比例するように、よりスリムに、より力強く育っていった。スポーツ少年団の登場である。なんと、その時僕と同学年だった人達は、僕とそれからもう一人を除いて全員がなにかしらのスポーツクラブに属していたのだ。じゃあ何故僕はスポーツを始めなかったかというと、その時の親の教育方針にある。その時の僕の親の教育方針というのは「子供の自由に任せ、やりたいことはとことんやらせる」というものだった。この教育の仕方は確かに間違っていないと思う。子供が心身共に成熟した場合においては。この頃の僕にはやりたいことなんかなかった。あるはずもなかった。この時の僕には物心なんてものが全くと言っていいほどついていなかったのだ。故に自分のやりたいことが分からない。分からないものを親に伝えることなどできるはずもない。そんな感じでダラダラぶくぶく。小学生ながらもうどうしようもないやつに育っていたのである。

 この頃にはもう僕に対するいじめが表面化しだしていた。当然だ。人間というものは本質的に自分達とは違うものを拒む。精神年齢が幼ければ、よりその本能に従って動くのは当然のことで、周りの人間と見た目がどんどん変わっていく僕をいじめようとするのは当然のことなのである。しかし、この時の僕はまたも馬鹿であった。いじめをいじめだと気付かなかったのである。まあ今にして思えばその方がいじめをいじめと気付くより精神的には楽だったかもしれない。こうして小学校六年間、ぶくぶくと太り続けた僕は小学校生活の大半をクラスの皆からハブられて過ごした。そしてそこで得られたのは僕のコミュニケーションにおける根幹の部分。すなわち、他者から叩かれ、蔑まれ、罵られ、そうやって誰かの下になることが自分のコミュニケーションの取り方なのだという誤った価値観が自分の中に叩き込まれてしまったのだ。